あ~イク恋愛生欲情の扉
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宝乃ありな の写メ日記PHOTO DIARY 宝乃ありなのプライベートを覗き見! 随時更新中!
2019年 6月 の写メ日記一覧
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最初に、最初に好きになったところを最後に嫌いになるという話を聞いたことがあります。自由人で好き→自己中で嫌いハッキリもの言うから好き→無神経で嫌い倹約家だから好き→ケチだから嫌い優しいから好き→優柔不断で嫌い自己主張しないから好き→自分がないから嫌い引っ張ってくれるから好き→強引で自己中で嫌い気を使ってくれるから好き→こっちにも同じくらいの気遣いを求めてくるから嫌い愛してくれるから好き→重たくて嫌いマメだから好き→しつこいから嫌い……つまり何をしても嫌われるし、何をされても嫌いになるってことですから、自分が、いちばん心地よい状態でいましょう。不思議なもので、続く関係というのは、頑張ろうとしなくても続くんですよね。続かない関係は頑張ってもダメだもんね。しんゆうちゃんも、そう。自然に、近付いてくるし、自然に、近付ける。
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薄っぺらい人って、嫌いだなー。なんてゆーか、言葉が表面的で綺麗なことばかり言って、言葉にタマシイが入ってない人!そうゆう人がニコニコしてても、ボロが出るし、汚さが出てるし、利己的な感じがする。どうして、そんなに、隠しきれないんだろうって思っちゃうの。自分の言葉で喋る人が好き。
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それ、優しくないよね(笑)以前、本指の、とのさまに、「ねー、わたし、親になれるのかなー」って話をしたら、「優しそう!そして虐待しそう!」って言われて、めっちゃ、うけたんですよ( ̄▽ ̄)「虐待しそうって、それ、どう考えても優しくないよね(笑)」って、突っ込んだら、「タガが外れると、しそうってことだよ」とのこと。うーむ。キレるってことか。なるほど。普通、こんなこと言われたら不快に思う場面かもしれないけど、私はむしろ、そう言われて、ホッとしたんですよね。あー、この人、私を美化してない。それでも何回も指名してくれる、ってね。むしろ逆にしっかりしてそうとか言われると、なんか、嫌な気持ちになるというか、重たい気持ちになる。うまく説明出来ないけど!人に頼られたり、あてにされるの嫌い!頼りになる人が好き。
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あえいで とける おじかん です私、ミサコ。私は、ヨウコのことが好きだった。ヨウコはオカマであり、私の親友である。ある日、私はヨウコと宅飲みする約束をした。それを彼氏のヒロオに話した。「明日、親友が泊まりにくるんだ」「ヨウコちゃん?かわいい子だよねぇ」「うん」ヒロオはヨウコがオカマだということを知らない。ヨウコのことを女だと思っている。ヨウコがオカマだと知っていたら、ヒロオはきっと私の家にヨウコが泊まることを嫌がるであろう。いくら心は女でも元々は男なんだから、心配するであろう。だから私はヨウコがオカマだということは、ヒロオには話していない。それくらい、ヨウコは、そこらの女よりも女らしく、そこらの女よりも、とても可愛い。そして、私とヨウコの間にあるものは、ほんとに女同士の友情である。そう思っていた。ヨウコが泊まりにきた。その夜を境にして、私たちの関係は変わった。夜中に地震があった。遠くから低い地鳴りが響いてきて、激しい揺れがきたところで、二人とも目が覚めた。二度目の揺れでヨウコは飛び起きて、私の布団にもぐりこんできた。小さな怪物のように、可愛い動きであった。そして微かに悲鳴をあげながら、私の首にしがみついてきた。最初、何か柔らかいものがぶつかってきた、と思った。ヨウコの胸の膨らみが、私のそれらと不器用にあたった。まったく初めての感触で、それが何なのか、とっさにはわからなかった。何もかも男とは違っていた。いや、ヨウコも、元々は男なのだけれど。形も、体へのあたりかたも、匂いも。男と抱き合っていると、硬く平らな胸や腹に自分を押し付ける感覚だけれど、女とは、柔らかい二つの体が弾力を伴って頼りなくぶつかりあうのである。おっぱいとおっぱい、お腹とお腹は、強く押し当てられると、ゼリーかゴムのようにつぶれて形を分けあった。体温に脂が溶け合うように、体の輪郭が失われなじんでいった。同じ形だ、と思った。地震に加えて突然のヨウコとの抱擁で、私は動揺のあまり呆然としていた。揺れが治まるとさすがに気恥ずかしくなり、離れようとした。しかしヨウコは私の首筋に唇を押し付けてきた。そのまま首やうなじに唇を這わせてくる。最初は戸惑った。ヨウコはふざけているのだろうか。じゃれてるだけだろうか。だけどヨウコは、真顔で私の顔を覗きこんできた。緊張と妙な不安に、身がすくんだ。それと同時にヨウコって、ほんとに美人だなーと思った。男だった時のヨウコの姿は知らないけど、間違いなく元々がイケメンだろう。ヨウコの体の匂いが濃密に立ち上った。私は体をよじって笑いながら、今度は力をこめて逃げようとした。しかし逆にヨウコは、きつく抱きしめてくる。その腕の力に私は狼狽したけど、それを隠して、「もう揺れも終わったみたいだしもう寝ようよ。わたし眠いよ」と平静を装って言った。少しの間、居心地の悪い沈黙があった。すぐにヨウコの唇が私の唇を塞いだ。信じられない柔らかさだった。とろけそうな唇と舌の感触に、体に電流が走るような衝撃をうけた。私は、気付いたら、無我夢中で吸い返していた。しかし、この先は、どうすればいいのだろう。男と女だったら、このまま、せ、っくすするのだろう。ヨウコの場合は、なんなんだろう。ヨウコは男なのか。ヨウコは女なのか。ヨウコが私のことを性的な目で見てるのは間違いないけど、その眼差しは、男のそれとは違う気がする。ヨウコは私から見たら、やっぱり女だし、ヨウコの心も女なのだ。ヨウコは男として、私に触れているわけではないように思う。それこそ、ヨウコはレズなのだろう。場面は切り替わり、私は、しばらくは、あの行為を思い出すたびに、鳥肌が立った。気色悪い、と思った。実際には私たちは、抱き合って口づけただけだった。そこから先を求めるヨウコの動きを押し留めた。そこで終わってしまった。この回想も繰り返されると、慣れて鳥肌は立たなくなったけど、不気味さに、心の内側が暗くなった。男との浮気、ではない。女との浮気、でもない。なんだろう、あれは。自分のことは大概知り尽くしていると思っていたのに、おもいもかけない未知の自分が、生々しく闇から現れてきた。もっと溺れてみたかった。そんな自分が恐ろしくなって、私はヨウコを制止した。ここで止めなければ後戻り出来なくなると思った。あれからもヨウコとは頻繁に遊んでいる。だけど、あの夜のことは、二人とも口にしたことはない。いや、私の方から、あえて話しにくい雰囲気を作り出している。一緒に夜を過ごす機会も避けた。しかし忘れることはできなかった。むしろ迷いと自問は深まっていった。そしてヨウコの唇の感触を思い出しては、そっと自分の下半身を慰めた。私は女が好きなのだろうか。でも私にはヒロオという彼氏がいる。じゃあ私は、女も男も、どっちもいけるのだろうか。私はバイなのだろうか。いや、でも、ヨウコも男……?私は、オールマイティーなのだろうか。頭がこんがらがる。そんな混乱の中で、静かに振り返ると思い当たることがあった。私は子供の頃から女に惹かれていた。うっとりと人を目で追うとき、それは、ほとんど綺麗な女の人であった。私は、綺麗な女性が好きであった。ところで、人への親愛は必ず、友情と恋愛に区別しなければいけないのだろうか。可愛い猫にキスをするように、可愛いものを撫でるように、自分を惹き付けてやまないものを抱き締めたいと思う。欲しいと思う。それは異常だろうか。私は男を憎んでいたのかもしれない。臭くて偉そうな父親。子供の頃、私の下着を脱がせようとした変質者。会社で臭い息を吐きながらイヤミを言ってくる禿げた上司。酒に酔って街角で騒ぐ男たち。声がでかいおっさん。ち、かん。奥さんや彼女の前でだけえらそうな内弁慶な男たち。隠してるつもりでも、スケベな感情、卑しい感情が顔に出やすい男たち。そんな男たちを憎んでいた。敵意すら感じていた。私は男が嫌いだったのだろうか。だからいつも、私は彼氏が出来ても、最終的には大嫌いになってしまったのだろうか。自分の気持ちを探りながら、久しぶりに彼氏のヒロオと、せ、っくすをしてみた。男が嫌いだと気付いてしまった今の私は、男と交わることが出来るのだろうか。もし可能なら、どう交わるのだろう。ベッドに横たわると、ヒロオはいつものように私を裸に剥いていった。横たわると背中の下でシーツが冷たかった。彼は自分で乱暴に服を脱ぎ捨てると、待ちかねていたように、熱い体で覆い被さってきた。私は、彼の日焼けした背中に両腕を回した。いつも通りの快楽が芽生え、絶頂で終わった。息も絶え絶えになりながら、私は安堵した。この強烈な快感は、男でなければ得られないだろう。ヒロオは上体を起こし、私を見下ろした。そして、私の指に指輪をはめた。「結婚しよう」「わたし、たぶん、男が嫌い」「うん、なんとなく、わかる」「でも」「ん?」「あなたのことは好き」「じゃあ、結婚してくれる?」私は、涙を流しながら、頷いた。「なんで泣いてるの」ヒロオは、私の瞼に唇を押し当て涙を啜った。「嬉しくて。これからさき、大好きなヒロオと毎日一緒にいれる」私は、レズでも、なんでもなく、ただ、女、男、関係なく美しいものが好きなのである。ヨウコは美しい。ヒロオも美しい。もう、それだけで、いいじゃん。美しいものに囲まれて生きていこう。私は、幸せを噛み締めながら、ヒロオの胸の中で眠りについた。の いつかの夢シリーズ
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ゆがむ おじかん ですヨシコは10歳。生理がきて、おめこに毛が生えてくる年頃である。10歳のヨシコは、せ、っくすについての知識はない。ドラマで漠然と裸で抱き合ってる男女のシーンも見ても、へー、裸で、だきしめあうと子供できるんだなーぐらいの認識である。だけど、好きな男の子を見ると、頬が赤くなり、体が熱くなる。この延長で男性と女性は裸でだきあうのだろうか。場面は切り替わり、ヨシコはひょんなことから、30歳の男性に恋をした。その男性は近所の人である。父親の顔でもない先生の顔でもない兄の顔でもない同級生の顔でもない近所の臭いジジイの顔でもない誰でもない今まで見たことのない男の顔が、そこにはあった。どこなく危険な香りがする。同級生の男性にほんのりときめいたり体を熱くすることがあってもこんな気持ちは初めてである。ヨシコとその男性は、よく喋るようになった。「ヨシコちゃんは、なにざ?」って突然聞かれ、血液型を聞かれることは時々あってもまさか星を聞かれるとは思ってなかったので「え、水瓶座です!」と答えると「ほう。じゃあ俺と同じだねー。変な奴だねー」と、言われた。彼はヨシコのことを褒めるのがうまかった。そのくせ、次の瞬間には、もう相手のことを忘れていたりする。ヨシコのようなお子様は、一度優しくしてもらうと、それが永遠に続くように錯覚する。だから、次に会ったときは、普通に接してくれてるだけなのに、まるで冷たくされたような気分になり、一人でめそめそと傷ついたりしていた。ヨシコは心を開くスピードが早すぎるのだ。だから感情が、すぐに出てしまうし、すぐに調子に乗ってしまう。優しくされるともう一度声をかけてもらいたくて、ほめてもらいたくて、彼に執着していた。そしてまた悲しくなり、憎くなった。とんでもない逆恨みである。ある日、その男性と喋っているところを、母に目撃された。母は嫌そうな表情をしながら、こっちに近づいてきて、ヨシコの手を引っ張って、家に帰った。まあ、そりゃあ、そうだろう。10歳の娘が30歳の見知らぬ男と喋ってたら、誤解するし、心配するだろう。「なによ、あの人、変質者?」「いや、むしろ私の方が変質者だよ」「なんなの、声かけられたの?何かされてない?気持ち悪いわー」「近所の人だよ。私から話しかけたから、あの人は変な人じゃないよ」母が心配するので、ヨシコは母にバレないように、こそこそと彼の家を尋ねた。彼はヨシコのことを子供扱いする。ヨシコは何を考えたのか、ある日、ノーパンにスカートで彼の家を尋ねた。そして彼の目の前でぺろりとスカートをまくりあげた。「やめてよ、おれ、逮捕されちゃうよ。もう、来ないでね」と言いながら、彼はヨシコのことを追い出した。ヨシコは初めての恋、そして、初めての失恋を経験した。そしてノーパンのまま自分の家に向かう。家に向かう途中で、ヨシコは派手に、うつぶせに転んだ。スカートがめくれあがり、おけつが丸出しである。もう彼に会えない、彼に嫌われてしまった。悲しくて悲しくてヨシコがワーッと泣いていると、たまたま買い物帰りの母が、転んだまま、泣いてるヨシコを見つけた。けつを出したまま、泣いてるヨシコを見て、誤解した母は、「なに、なに、なに、なんでパンツはいてないの?あの男に何かされたの?」とパニックになっている。「違う違う」と言ってみたけど、母は怒り、通報しようとしている。「違う違う、むしろ私が変質者!」と、ヨシコもパニックになった。の 今日の夢シリーズ2うける(笑)
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あっ、たぶん、今日、K坊の誕生日だ!スタッフの誕生日を、ほぼ全部、暗記してるス、トーカー
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せつない おじかん です私は、35歳になっている。妊娠している。私は婦人科に通院している。憂鬱だった。なぜならば、その病院の看護婦さんのことが苦手だったのだ。なぜかこの看護婦さんはいつも不機嫌なのだ。妊娠中の私は、月に一度の定期検診に通わなければならないのだけど、あの看護婦さんいるかな~と思うと足が重たくなる。あの看護婦さん、出勤の前に事故ってくれないかなー。出勤の前に身内に不幸があったりして、出勤出来なくなるとかになってくれないかなー。とか、ダークなことを考えながら、病院に向かう。毎回毎回、ひどく些細なやりとりが私のことを憂鬱にした。べつに、私だから態度を悪くしてるわけではなく、私だから上から目線になってるわけではなく、私だからばかにしているわけではなく、そうゆう性格の人なのだろう。そんなことは、わかっている。色んな人間がいるのだ。だけど妊娠中の私は、些細なことで傷つき、不安定になる。その日私は会計の時に5000円を出した。すると、その看護婦さんが、つっけんどんな態度で、「ありこさんは、毎回2350円ですから」と言った。一瞬、彼女が何を言いたいのかわからずに、きょとんとした顔をすると、「細かいのないの?!」と怒られた。「ないです」と答えると「いいわよもう」と言うのである。どうして、いいわよもうなのだろう。どうして、最初から、細かいのないか聞かないんだろうな、と不思議だった。なぜ不機嫌に遠回しに言う必要があるのだろう。なんてゆーか、言葉が曲がってるのだ。この人は、本当に言いたいことをストレートに表現しない、出来ない。だから、不機嫌な態度になってしまうのだろう。根本にはきっとわかってほしい気持ちがあるのである。だから私は、もちろん腹が立ったけど、ほんのすこしだけ、同情した。ある日、我慢の限界がきた私は、ほわほわした口調で、こう聞いてみた。「あのね、看護婦さんは、なんでそんなに不機嫌なの?私はあなたの前に出るといつも怒られてるような気分になって、見下されてるような気分になって、緊張しちゃうの。すっごい、こわいもーん、あなたぁ」私は子供のような、悪意のない純粋な表情を造りながら、ばかっぽいホワホワした口調で喋れば、相手を不快にさせないと知っている。B型で末っ子の私だからこそ、できる技である。「え?」と言ったまま彼女は固まってしまった。固まってる看護婦さんを見ながら、私はほわんとした表情を保ったまま、首をかしげると、彼女は、何も答えず無言のまま保険証を返してきた。場面は切り替わり、その看護婦さんは、普通にしてくれるようになった。なんの流れだか忘れたけど、雑談で、「自分に子供が生まれないことを気にしている。おまけに寝たきりの姑を抱えていて気持ちの余裕がない」みたいなことを話してくれた。「子供うまれないの?」「不妊症なの」「それじゃあ赤ちゃんや産婦さんを見ると、なんか、つらくなるよね」そう言うと彼女は、そのことに初めて気付いたみたいに、「そうかもしれない」と言った。自分でも、なんでイライラしてるのか、わからなかったのだろう。不妊症の女性が産婦人科で働くのは確かにストレスが溜まるだろう。しばらくして彼女は病院をやめた。噂では内科の病院にうつったらしい。人を呪わない言葉を話すためには、まず自分が呪いから解かれる必要がある。自分の中の怨念と決着をつけないと言葉の癖はなかなか直らない。あとはやっぱり変なプライドを捨てることである。言葉のゆがみ、不機嫌な態度はたいがい癖になっている。癖になっているから自分で気付かないのだ。でも、癖だからこそ、きっと直せる。言葉はほんのちょっとのストレスでゆがむ、曲がる。相手を不快にさせないまっすぐな言葉を発するのは難しい。でもそれはお互い様なのだ。私の言葉だって、よく曲がってると思う。そして冷静にならないと、自分の言葉が曲がってることに気付けない。誰かの言葉に傷ついた時、私は相手を変えたいという傲慢な気持ちがあった。でも相手を変えたいと思うのは、自分の都合なのだ。私が気に入らないし、私が勝手に腹を立ててるだけなのだ。大切なのはきっと相手を叱ったり非難することではない。それをすると、相手は、さらに怒り、さらに頑固になり、さらに閉じこもる。自分がどう感じてるかを伝えることだ。「私はチキンだから、あなたの言葉が、こうゆうに感じたし、あなたの言葉が怖いし、あなたの言葉に傷つく」それを伝えたら、きっと相手は何かを感じる。人は傷ついてる自分を相手に知られるのが恥ずかしいし、ばかにされたくない生き物なので、傷ついたときは、つい相手を攻撃してしまう。弱いからこそ、プライドが高くなるし、勝ちたがるのだ。人の心を動かすものって、言葉はもちろん、プライドを捨てた気持ちが大切だなと思った瞬間であった。の 今日の夢シリーズ
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めんこいべなー親にとって異性の子供は可愛いらしいですね。(母親は息子、父親は娘)それって、理屈じゃなくて本能だと思うんですけど、生んだことない私でも、ほんとに漠然と、男の子は可愛いんだろうなと思います。それは小さい頃からほんとに漠然と感じてたので本能なんだろうね!!小さなお姫様と小さな王子様、みたいな(笑)うざくて、わかりやすくて、ばかで、可愛いだろうなって(笑)だけどほとんどの人が「女の子がほしい」と言うので、「男の子がほしい」と言うと、珍しそうな顔をされますね。珍しいですか?まあ、ずっと、ミニマムサイズでいてくれたら、いいんですけどね。ヒゲはえて、声が低くなったら、かわいくないかもね!w我が家の猫もオスだよー!ところで今日休みになりました。来週は生理がこなければ多めに出勤します。ではでは
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めちゃくちゃB型。歳をとることに恐怖を覚えて、だけど、だからといって、10代の頃に戻りたいだとか、何年前に戻りたいとかは、まったく思わない。子供の頃って(今も子供ですが)、自分と親とか自分と友達とか自分と恋人とか自分と社会とかの境界線が曖昧で、色んなものと合体して肉団子になりすぎて(笑)嫌な人に会うと夜も眠れないほどはらわたが煮えくりかえりどうにかしてわからせてやろうとか冷たくしてやろうとか思い知らせてやろうとか謎の上から目線で、イライライライラしていて、完璧な人に会うと、ぺしゃんこになっていた。あー、こんな素敵な人には、私は認めてもらえないって。自意識が強すぎて、自分の手に負えなかった。感情がコントロール出来なくて苦しかった。感情のあっち側からこっち側へ、ジェットコースターみたいに駆け抜けて、泣いたり、怒ったり、幸せの絶頂に上ったり、そうかと思うと死にたくなったりした。ところで、私は小学生の頃、人間の体の中を見てみたいと思ったことがあった。人間だけではなくて、動物の体の中を見てみたい願望が生まれた時があった。(どんな危険な小学生やねんw)死体を見てみたいと思ったことがあった。内蔵はどんなふうに詰まっているのか知りたかった。なんで内蔵を詰めたまま、自分が動き回っているのか不思議で不気味で、眠れなかった。だから、スプラッタ映画にハマったことがある。といってもチキンなので本物の血は怖い。作り物だからこそ、見れるのである。私は、いったい何がどうなって、歩き回り、動き回り、傷ついたり、眠ったり、怒ったり、絶望したり、自意識過剰になったりするのだろう。内蔵がなくなってしまえば、脳みそがなくなってしまえば、私は、なくなるのだろうか。こわい。でも知りたい。私は私だけど、私は、私じゃないものに、支配されている気がする。恐怖を拭うために、だからこそ、死体を見てみたいと思っていた。そんな中二病みたいなことを延々と考えては、ポエミーな自分に酔いしれていた。ほんとに気持ち悪い子供だったと思う。そして、いつも苦しかった。そして、苦しいのに、不幸になりたいと思っていた。不幸になりたくてたまらなくて、不幸になってるのに、不幸になると、ああ、なんで私ばっかりと酔いしれて、ポエムを囁いていた。そんな、あの頃には、絶対に戻りたいとは思わない。今は落ち込むことはあっても、それを自分で処理する力は身に付いたと思う。歳をとったら、傷つかなくなるわけではないし、歳をとったら、大人になれるわけではないし、歳をとったら、優しくなれるわけではないし、歳をとったら、寛大になれるわけではないし、歳をとったら、頭が良くなるわけではない。私は、ばかのままである。たぶん、これからも、ばかのままである。だけど、歳をとると、周りとの境界線が出来る。楽しく生きたいと思うようになった。ようやく、自分が自分になった。これから、もっと、自分が自分になっていくのだろう。の思春期エッセイ
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めちゃくちゃB型。歳をとることに恐怖を覚えて、だけど、だからといって、10代の頃に戻りたいだとか、何年前に戻りたいとかは、まったく思わない。子供の頃って(今も子供ですが)、自分と親とか自分と友達とか自分と恋人とか自分と社会とかの境界線が曖昧で、色んなものと合体して肉団子になりすぎて(笑)嫌な人に会うと夜も眠れないほどはらわたが煮えくりかえりどうにかしてわからせてやろうとか冷たくしてやろうとか思い知らせてやろうとか謎の上から目線で、イライライライラしていて、完璧な人に会うと、ぺしゃんこになっていた。あー、こんな素敵な人には、私は認めてもらえないって。自意識が強すぎて、自分の手に負えなかった。感情がコントロール出来なくて苦しかった。感情のあっち側からこっち側へ、ジェットコースターみたいに駆け抜けて、泣いたり、怒ったり、幸せの絶頂に上ったり、そうかと思うと死にたくなったりした。ところで、私は小学生の頃、人間の体の中を見てみたいと思ったことがあった。人間だけではなくて、動物の体の中を見てみたい願望が生まれた時があった。(どんな危険なメンヘラ小学生やねんw)死体を見てみたいと思ったことがあった。内蔵はどんなふうに詰まっているのか知りたかった。なんで内蔵を詰めたまま、自分が動き回っているのか不思議で不気味で、眠れなかった。だから、スプラッタ映画にハマったことがある。といってもチキンなので本物の血は怖い。作り物だからこそ、見れるのである。私は、いったい何がどうなって、歩き回り、動き回り、傷ついたり、眠ったり、怒ったり、絶望したり、自意識過剰になったりするのだろう。内蔵がなくなってしまえば、脳みそがなくなってしまえば、私は、なくなるのだろうか。こわい。でも知りたい。私は私だけど、私は、私じゃないものに、支配されている気がする。恐怖を拭うために、だからこそ、死体を見てみたいと思っていた。そんな中二病みたいなことを延々と考えては、ポエミーな自分に酔いしれていた。ほんとに気持ち悪い子供だったと思う。そして、いつも苦しかった。そして、苦しいのに、不幸になりたいと思っていた。不幸になりたくてたまらなくて、不幸になってるのに、不幸になると、ああ、なんで私ばっかりと酔いしれて、ポエムを囁いていた。そんな、あの頃には、絶対に戻りたいとは思わない。今は落ち込むことはあっても、それを自分で処理する力は身に付いたと思う。歳をとったら、傷つかなくなるわけではないし、歳をとったら、大人になれるわけではないし、歳をとったら、優しくなれるわけではないし、歳をとったら、寛大になれるわけではないし、歳をとったら、頭が良くなるわけではない。私は、ばかのままである。たぶん、これからも、ばかのままである。だけど、歳をとると、境界線が出来る。楽しく生きたいと思うようになった。ようやく、自分が自分になった。これから、もっと、自分が自分になっていくのだろう。の思春期エッセイ