あ~イク恋愛生欲情の扉

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2021年 6月 の写メ日記一覧
宝乃ありな

宝乃ありな(26歳)

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  • そうかも?
    そうかも?

    男性は性的な浮気に嫉妬して、
    女性は精神的な浮気に嫉妬するんですって。
    そうかも?!
    皆様は、どう?
    なんか、たとえば、わたしには1500円のプレゼントをくれて、
    浮気相手には一万のプレゼントとかをあげていたら嫉妬します。(笑)
    むしろ私が浮気相手?!って疑ってしまうかも(笑)
    嫉妬するし、「もういいわ!」って、冷めちゃうかも(笑)
    でも、これって、女脳だと思います。
    確かに、肉体的な嫉妬に関しては、愛がなくてもできることだと思うので、そこまで重要視していないです。
    自分にたいする待遇がよければ
    「私のことが、いちばん好きなんだな」
    って感じるのは、女の本能なのかもしれませんね。
    なにはともあれ、嫉妬は醜いですよ。
    そして嫉妬しているくせに、嫉妬していないと言いながら相手を攻撃する人間は、もっと醜いですね。
    そして、ほどほどの嫉妬はスパイスになっても、重度の嫉妬は、冷める原因になりますから、
    人を試しちゃいけないんだなって、若い頃に学んだ
    だって、
    試さなくても、心配しなくても、相手は意外に妬いていますからね。

  • ひどいこと
    ひどいこと

    私が人と仲良くする、仲良くしたいと思う基準って、
    この人は、私にひどいことをしてこないか
    って言う感覚ではなくて、
    この人が、私にひどいことをしてきたときに、私は多少は、許すことができるだろうか
    って感覚で考えるんですよね。
    まあ、だいたいは「ノー」なんですけどね(笑)
    きたないところ、わるいところ、許せないなら、許してもらえないなら、
    一生は、一緒にいれないし、いつかは終わる
    私の基準は
    「この人は裏切らないか」
    では、ないのです。
    「この人が変なことしたとき、わたし、どんな気持ちになるだろう。
    許せるかな」
    って考えます。
    鼻から信用しないことって、愛だと思います。
    「信用している」って言葉は響きがいいけど、
    結局は
    「わたし(ぼく)の思い通りになってね。
    わたし(ぼく)の思い通りにならないなら、お前なんて死んでもいいから」
    って意味ですよ。
    信用なんて言葉はいらないです。
    信用なんてされたくないです、重たいもん。
    それよりも、
    この人がこれをしたら……って脳内でシミュレーションしたほうが、よっぽど現実的だし、よっぽど愛情だよ。
    この人が、もしも、ちかんをしたら……とかね(笑)
    この人が、もしも、さつじんをしたら、とかね。
    もしも、我が子が、知的しょうがいをもって生まれてきたら……とかね。
    もしも、我が子が、引きこもりになったら、私は我が子を愛せるのかとか、
    もしも家庭内暴力をしてきたら…とか想像しますよ
    相手が必ずしも、ひどいこと、間違ったことをしないなんて、私は絶対に思わないです。
    大切なのは、されたときに、許せるかどうか、です。

  • 愛は私の中に、ずっと、ある。
    愛は私の中に、ずっと、ある。

    誰が悪い、何が悪いというのは間違いなく幻想。
    そこにあるのは、「自分がどう感じたか」であって、その感情にも勿論、善悪なんてない。
    もし何かを「これが悪い」としたなら、その瞬間、自分から湧いてきた感情への責任を放棄することになる。
    自分の人生を諦めることになる。
    何かが悪いから、自分は今こうなんだとか、逆に何かのお陰で、自分がここに立っているとか、全部ひっくるめて責任放棄だ。
    自分から湧いてくるもの、自分が感じるもの、それらすべからく自分の胸に抱くべきである。
    だから私は、
    よくある彼氏が浮気したからほにゃららとか、旦那が不倫したからしかじかとか、汚嫁をボコボコにしたとか、おいおいちょっと待てよと思う。
    嫉妬を純粋に嫉妬として抱いていればいいのに、どこかで拾ってきた正論を盾に彼とか彼女を糾弾するのは、お門違いも勘違いもいいところ。
    人生に、特に自由の象徴たる恋愛に、正論正義を持ち込んだら、自分が自分でなくなってしまうから。
    正しさは横に置いて、嫉妬も愛もひっくるめて、一緒に歩いていきたい。
    それが私にとって、「生きる」こと、「愛する」ということ、そのものだと思っている。
    ………私が書いた、いつかの夢シリーズから抜粋しましたけど、
    いやー、わたし、まじで、いいこと言うよね
    まあ社会不適合者のクズですからね

  • どうでもいいのよ、まじで
    どうでもいいのよ、まじで

    人それぞれ許せないラインって違うんだね
    皆様、愛する相手にたいして「絶対に許せないこと」って、どんなことですか?
    わたし、浮気に関しては、まじで、どうでもいいんですよ
    まじで、まじで、まじで、まじで、まじで、どうでもいいんですよ。
    たかが、よその女のま、んこに、ち、んぽつっこんだだけじゃないですか(笑)
    それくらいで「たましいの殺、人」だとか、そんなことでたましい死ぬなら、
    家族にはなれないですね
    だけど、
    のめりこんでしまって、お家に帰ってこなくなったり、生活費をくれなくなったり、子供を捨てるような男性なら嫌です。
    だけど、そうでないなら、浮気されようが果てしなくどうでもいいんです
    こういうこと言うと
    「ちょっと冷たいんじゃないの?
    つまり旦那は金さえくれればいいってことでしょ?」
    だとか
    「それって、まるで相手のすべてを許すみたいで、言葉は綺麗だけど、
    本心では、自分の浮気も許してほしい願望があるってことでしょ?
    本心では、自分も遊びたいんでしょ?」
    だとか
    「浮気されてもいいなら、結婚する意味ある?」
    って思う人もいるかもしれないけど(笑)
    いや、まあ、そうだよね。
    でも逆に、一生一緒にいるつもりで結婚したのに、浮気も許せないなら、なんで結婚したんだろうって思う
    一発アウトで、
    すぐ離婚しちゃうような人は、やっぱり心が狭すぎるし、
    それこそ子供も可哀想だから、一生独身でいればいいのにと思う
    あっ、これは私の目線ですからね。
    そういう考えの人の前で、もちろん言葉に出したことはないです。
    言葉には出さないけど、
    それでも、こころ狭いなーって思っちゃう。
    「浮気してもいいなら、結婚する意味なくない。
    結婚=縛る権利があるってことでしょ。
    そのための不貞行為なんだし」
    or
    「確かに限度はあるからこその不貞行為だと思うけど、
    少しの寄り道も許せないなら、結婚する意味なくない。
    結婚って家族になるってことだし」
    さて、あなたは、どっちの感性ですか!!

  • みて~
    みて~

    こんにちは、いもこ姫です👸
    めずらしいアイスクリーム!
    じゃがいも味だってさ~
    ちなみに、うに味とかもあったけど、なんだか勇気がなかった(笑)

  • 胸をうつ
    胸をうつ

    おはようございます、姫です
    いやー、胸をうつ文章というのは、やっぱり、たましいがこもっていますよね。
    とある難病の小学生の文章を読んでいたんですけどね。
    つたない言葉なんですけど、読んでいて、涙腺が弱ってしまいました。
    うまく、うまく、綺麗に書こうとしなくたって、伝えたいことは、伝えれるはずです
    子供にしか書けない、大人には書けない、子供にしか表現できない、大人には表現できない、そんな文章だって存在するのです。
    自惚れるわけではありませんけど、
    綺麗な文章だとか、文章の構成みたいなものは、私はどちらかというと得意ですけど、
    そんなの、たましいこめていなくても、コツを掴めば誰にでもスラスラと書けますからね。
    やっぱり、文章には個性が出るし、人柄もでますよ。
    綺麗に書こうとしたって、綺麗に書いてみたって、薄っぺらさが伝わってくることもありますからね。
    個性、大切ですね!

  • 三姉妹&三兄弟あるある
    三姉妹&三兄弟あるある

    いちばん上→親にとって初めての子供だから厳しくしすぎて、ものすごい反抗期を迎えるorものすごい真面目
    にばんめ→上と下を見ているから、したたかで、あんまり親に怒られないけど、わりと性格が悪いというか腹黒い
    さんばんめ→三人目になると親も諦めるのか、たとえ、いちばん上と同じような悪いことをしても、あきらかに甘やかされて、ほっとかれる。
    小さい頃の写真がスクナイ。
    いつまでも小さい子扱いをされる。
    こんなイメージ(笑)
    いちばん上の姉ちゃんが学生のころ金髪にしたら、「どれどれ、切ってやる」って言いながら、パパに追いかけ回されていますしたけど(笑)
    私が同じ事をしても、「だめでしょ、校則違反でしょ、直しなさいよ」って言われただけでしたから、
    本当に、これは、あるあるだと思います。
    かといって、愛情に差があるとは思いませんけどね
    愛情の表現の仕方が変わっただけじゃないですか。
    差があるように見えたとしても、
    きっと、いちばんめでも、にばんめでも、さんばんめでも、ひとりでも欠けたら、親は、やっぱりつらいですよ。
    だけど、やっぱり、末っ子の私が欠けたり、お嫁に行ったら、いちばんつらいだろうなという、謎の自信があります(笑)
    どんなに悪いことをしても、
    いつまでも「ピュア」扱いされるし「いいこ」扱いされるからね。
    なぞだ
    わたし、そんなにピュアじゃないし、お腹の中、白くないんだけどな
    ってね。

  • テーマ【躾と虐待】
    テーマ【躾と虐待】

    シリアスなタイトルにしてみました(笑)
    私の時代は、悪いことをしたら、父親に、お外にポーンと放り出され、心優しい母親が家の中にいれてくれるという三流のドラマみたいな展開が普通でした(笑)
    これは本当に、あるあるな時代でした。
    (わたしも、お外に出されたことも、数えるレベルで手をあげられたこともありましたけど、ぜんぜん虐待だとは捉えていませんよ)
    いまは時代が変わり、
    あまあまな時代になりました。
    おっとりした人間も増えたかもしれないけど、ワガママで打たれ弱い人間も増えたかもしれません。
    (まあ私も、ゆとり世代に生まれたので、打たれ弱いのですが)
    私が小学生の時、
    教師が定規で、ぺしゃりと、クラスメートの頭を叩いている姿を見たことがあります。
    だけど、いまそれをしたら、わりと問題になるのかもしれませんね。
    やっぱり「我が子」でもないのに、手をあげるのは変だよ、ということですね。
    では我が子ならいいのか?
    という、何度考えても明確な答えが見つからないテーマですけど、
    法律でも「親は、躾程度なら、子供を、ぶつ権利がある」みたいなのを見たことがあります。
    んーーーーー。
    まあ子供が、どう捉えるかですよね。
    たとえば子供が万引きしたら、圧倒的に手をあげる親が多いと思います。
    そこで言って聞かせる、という親がいたら、それはそれで、なんだか、ずれているような気がしなくもないです。
    なんでもかんでも「子供のしたことだから」とか言うような親が、
    キラキラネームとかドキュンネームつけちゃうんだろうな、と思います(笑)
    よめねーよ!みたいな(笑)
    ペットじゃねーんだよ、人間なんだよ、みたいなね。
    どんなに言葉では愛情深いようなこと言ってみても、
    よめねーよ!みたいな名前をつける親は、
    やっぱりエゴのかたまりだと思うんですよね。
    おばあちゃんになっても、「てぃあらちゃん」とか「がんだむくん」とか、
    ばかかと思います(笑)
    どんなに
    「愛をこめた」
    とか言われても、
    おまえの愛は、自己愛だな、と捉えてしまいますよ。
    言葉には出さなくても、【ばかか】と思う人間は、まあ多いだろうね
    名は、親のことまで、あらわす。
    あれ、なんの話をしていたっけ。
    あー、躾と虐待の違いの話でしたね。
    暴力はしないにこしたことはない。
    しなくてすむなら、絶対にしないほうがいい。
    だけど、しない親が、ものすごい優しくて、子供のことを愛しているとも限らない。

  • せつなく ゆがむ おじかん です
    せつなく ゆがむ おじかん です

    私は新幹線が嫌いだ。
    ユウコは、ぼんやりとしながら、そんなことを考える。
    整然とした車内の様子も、浮世離れしたアナウンスも、ワゴンを押して物を売る女の子の制服も。
    よく磨かれた大きな窓や、ぴかぴかして綺麗な銀色の窓枠、不恰好な上着掛けフックや、あの、ばかげたカーテンなんかも、嫌いだ。
    八月の新幹線は特に嫌いだ。
    子供が多くて騒々しい。
    子供たちは集団で通路を走り回る。
    彼らの声は驚くほどよく通り、それを形式的に咎める母親の声が、さらにまた耳障りだ。
    私は子供が好きじゃない。
    ちょうど、子供の頃、大人が好きじゃなかったように。
    結局のところ、人は変わらないのだ。
    子供の頃、私は大人が、両親が嫌いだったし、新幹線も嫌いだった。
    こうしてユウコは、十一歳のときの夏を思い出した。
    あの日、私は白いワンピースを着ていた。
    フランス製だかイタリア製だか、ともかく外国製の生地を使ったもので、同じ白い糸で、たくさんのマーガレットが刺繍されていた。
    ベージュの革靴に、あっさりした白い三つ折りの靴下をはき、手には小さなバスケットを下げていた。
    こんなに、こまかく覚えているのは、そのときの写真があるからである。
    写真の中の私は極めて無表情に、新幹線のホームに立っていた。
    私は衣装持ちだった。
    どれも贅沢で美しく、だけど汚れやすく耐久性に乏しい服だった。
    私立の小学校に通っていたし、グランドピアノと暮らし、時には一瞬だけチンチラ猫が我が家にやってきたこともあった。
    なぜ一瞬だけなのかって、
    私に蕁麻疹と鼻炎があらわれ、猫アレルギーであることが判明したため、両親はあっさりと猫を里親に出してしまったのだ。
    両親にとっては、何もかも飾りで、それにたいして強い愛着が湧くことはないようである。
    いずれにしても、
    たいして大きくもない家の中では、ピアノも猫も、むしろ滑稽なものだった。
    いちおう、
    小さな製薬会社の社長をやっている私の父は、母が私にお金をかけすぎると言って、いつも怒っていた。
    だけど、
    贅沢が大好きな母は、まるで聞く耳をもたなかった。
    母はよく呪文のように、私にこう囁いた。
    「あなたには華族さんの血が流れているのよ」
    華族さんの血。
    私には、それはなにかとても恐ろしいもののように響いた。
    怨念とか祟りとか、何かそのようなもの。
    華族さん、という言葉が、おきつねさんやお稲荷さん、果ては、こっくりさんまでを連想させたせいかもしれない。
    母は、マリーアントワネットの生まれ変わりらしい。
    そして私には、華族さんの血が流れているらしい。
    そんな話をよく母に聞かされた。
    新幹線の中で、私は不機嫌に仏頂面をしていた。
    とりわけトンネルのなかではそうで、それは真っ黒な窓に自分たち家族三人の姿が写し出され、それが醜かったからである。
    美人な母親と、にわとりのように小柄で貧弱な父親、似合わない服を着せられたブスな娘。
    それが轟音と共に映し出されるから、私は新幹線が嫌いだ。
    母は私に何でも買ってくれたし、甘やかしてくれたけど、
    母が本音の部分では、私のことを嫌いなことを知っていた。
    私はちっとも、美人な母に顔が似ていないし、上等な子供服も、ひらひらのリボンも、ちぐはぐだ。
    ピアノはさっぱり上手くならないし、おまけに猫アレルギーなのだ。
    母の望む娘には程遠かった。
    それでも目立ちたがりな母は、夏の旅行には私のことを飾り立てた。
    まさに心血を注いで。
    私は父にも嫌われていた。
    「無愛想」で「子供らしくない」子供だからであり、父はそれを、いつも母のせいにしていた。
    「ほら見ろ、お前の高慢ちきが、見事に遺伝したぞ」
    かまわなかった。
    私だって、ブッサイクでプライドばかり高い支配的な父のことなど嫌いだ。
    もっと優しくてイケメンの父だったら、私も美人に生まれていたかもしれない。
    父は常にイライラしていたし、卑屈に見えた。
    私は、両親と、夏の旅行と、新幹線が嫌だった。
    通路を挟んだ斜め後ろの席に、べたべたとくっつきあっている男女がいた。
    男はジーパンをはいて髪が長く、ひょろりと背が高かった。
    女は反対に髪が短く、不健康にずんぐりしていて色白だった。
    丈の短いスカートからつきだした、むっちりした脚を男の太股に絡めている。
    私の目を惹き付けたのは、女の太股に張られた小さなシールだった。
    それは黒と紫のアゲハチョウで、女が脚を動かすと、蝶は、そのいささか白すぎる太股の上で、せつなげに身をくねらせるのだ。
    女はガムを噛んでいて、くちゃくちゃというその小さな音が、いかにも下品に蠱惑的に思えた。
    しばらく眺めているうちに、私は奇妙なことに気付いた。
    女と何度も目が合うのだ。
    じろじろ見ているからだろう、と言われたら、その通りなんだけど、女も、こっちを、じろじろと見ているのだ。
    女は男の上に半ば体を預けきり、鎖骨のあたりに顔をこすりつけたり、耳元で何事かを囁いたり、甘えているのは一方的に女のようなのに、男がニヤニヤと女を見ているのと対照的に、女はひどく冷静な眼差しで、男よりも、むしろ私のことを見ていた。
    私は何故か目を反らさなかったし、向こうも反らさなかった。
    女は笑っていた。
    唇がぽってりと厚く、気の強そうな、綺麗な顔をしていた。
    私はトイレに入り、がっしりと重たい引き戸をあけて廊下に出ると、さっきの女が立っていた。
    壁に凭れながら、面白そうに私のことを眺め、ガムを噛んでいる。
    私は女のむっちりしたセクシーな太股を見つめた。
    アゲハチョウのシール。
    女は私の視線に気付くと、ふんと笑いながら、長く伸びた爪でシールを剥がすと、それを私のほっぺたに張り付けた。
    シールは生暖かった。
    女は「ちょっとまってて、おしっこしてくるから」と言いながらトイレに入った。
    私は言われた通り、そこに立って待っていた。
    女の白い太股が、金属の便器をまたぐところを思い浮かべた。
    その姿を想像すると下品なのに、何かとてもセクシーな気がした。
    いつだか母と父の寝室で見つけたピンク色のローターが、この女の太股には似合いそうだ、と思った。
    女はトイレから出てくると、手を洗い、ポケットからハンカチを出して指先まで丁寧に拭いながら、
    「あんたは、て、あらったの」
    と、ぽってりとした唇と、ぽってりとした口調で聞いてきた。
    私が黙っていると、
    女は後ろから私を抱えるようにして、一緒に手を洗ってくれた。
    こんなふうに私のことを、子供扱いしてくれたのは、この女性が初めてである。
    なんだかドキドキした。
    「ちょっと、付き合ってよ」
    女はそう言い、先に立って歩き始める。
    私はおとなしくついていった。
    女が立ち止まったのは、食堂車に続く狭い通路だった。
    ミートソースの匂いがたちこめ、私たちは窓と壁に挟まれて、無言のまま手摺に凭れるようにして、そこにいた。
    窓の外を単調な景色が流れていく。
    「あんたは、あいつのことどう思う」
    窓の外を見たまま、女がそう言った。
    「あいつって?」
    「あたしの男」
    「ちゃらそう、だらしなさそう、足くさそう」
    素直な感想を言うと、女が豪快に笑った。
    女は、私のことを子供扱いする反面、なんだかまるで友達みたいに扱うような口調と態度である。
    「あいつ、最低なんだ」
    そう言いながら、女はクチャクチャとガムを噛んでいる。
    「あたしも最低だけど。
    あたしは、あいつだけじゃ満足できないんだよ。
    なんか、もう、かごのなかのとり状態で息苦しい」
    その口調は、今まで見てきた大人の口調とは違った。
    私は、女の言葉と同じ重さと、同じ価値になるように、こう言ってみた。
    「私には華族さんの血が流れているのよ」
    そう言った私のことを、女は見る。
    「なにそれ?どんな漢字?」
    「華やかの華に、族」
    「ふーん、おしゃれじゃん」
    女は、さして興味なさそうに、クチャクチャとガムを噛んでいる。
    そして、こう続けた。
    「あたしさ、あいつから逃げるところなんだけど。
    一緒に来る?」
    その問いに私が無言でいると
    「あんた何歳なの」
    と聞かれた。
    「じゅういっさい」
    「そう。じゃあ働けるね。
    稼げるよ」
    どういう意味かはわからないけど、
    本能的に、この女とは関わらないほうがいいと思った。
    なのに私は、その女から逃げようとしなかった。
    「私と一緒に生きていこう。
    いい?よく聞くのよ。
    いったん席に戻るの。
    なんにもなかったみたいにね。
    それで普通にしていなさい。
    アナウンスがあったら、もう一度トイレに立ちなさい。
    通路で待ってるわ。
    荷物なんてもってきちゃダメよ。
    どうしても必要なものはポケットにいれておくの。
    いい?」
    私は、でくのぼうのように突っ立ったまま、頷いた。
    私が席に戻ると
    「遅かったわね、なにを、つけてるの」
    と母の指が私の頬に伸び、私の頬のアゲハチョウのシールを剥がした。
    「なんでもない」
    私は両親ともう二度と会わない。
    そう決めた。
    女との約束通り、私はトイレにたった。
    女もトイレの前に立っていて、緊張した面持ちでガムを噛んでいる。
    「気持ちは変わらない?
    むりに、ついてこなくてもいいのよ」
    私は重々しく頷いた。
    電車がホームに滑り込む。
    アナウンス、軽い衝撃、そして大きな音と一緒にドアがあく。
    ひどく暑い空気が、ぶわりと流れ込んできた。
    数人の客がおり、女はいちばん最後に、しかし、いちばん、きっぱりした足取りで、ホームにおりた。
    振り向いて、さあ、と言うように私のことを見る。
    私は、一歩も動けなかった。
    キヨスクに、袋に入った冷凍みかんが並んでいるのが見えた。
    公衆電話が見え、銀色の大きなゴミ箱も見えたけど、私は一歩も動けなかった。
    突っ立っている私のことを、乗客が迷惑そうによけて、ぞろぞろと乗り込んでくる。
    そんな私のことを、女は直立不動でしばらく見つめていたけど、
    やがて、そのぽってりした唇で鮮やかに微笑むと、私にヒラヒラと手をふった。
    そして、ドアが閉まるのを待たずに、きっぱりと去っていった。
    くらくらするような日差しのなかに、一人きりで、その女の背中は消えていった。
    私は、胸がつぶれそうだった。
    絶望に、ふがいなさに、十一才という自分の幼さに、わけのわからない喪失感とか、かなしみに、胸がつぶれそうだった。
    ドアが閉まる。
    新幹線はゆっくりと静かに動きだし、私はそこに取り残された。
    ぼうぜんと、頬を触る。
    シールは、もう、ない。
    そうだ、さっき母に剥がされたんだっけ。
    そう考え、現実に戻る。
    人それぞれ、似合うもの、似合わないものがある。
    私と、あの女は、世界が違うのだ。
    それは、せつなくて、くるしくて、うらやましくて、さみしい。
    私は、これからも華族さんとして生きていくのだ。

  • 言わないでしょ
    言わないでしょ

    毒親って、どんなもんなのかを調べていたら、
    「おやに、ブスと言われ続けた」
    とか
    「殺、すとか言われ続けた」
    とかいう話を見つけて驚きましたね
    どの親も立派ではないし、最初から完璧な親になれるわけではないだろうし、むしろ一生、完璧な親にはなれないというか、
    「百パーセント正しい親」など、この世界には存在しないと思います。
    うちの親だって、完璧ではないですけど、
    それにしたって、
    我が子に、ブスとか殺、すなんていいませんよ(笑)
    完璧な親はいないにしても、
    そんなこと我が子に言わないのが「基本」ですから、
    そう考えると、わりと、まともな親で育ったのかも(笑)
    それこそ、
    私には姉が二人いまして、
    姉妹同士のケンカは激しくて、
    ハサミは飛んでくるわ、包丁はだすわで、激しく絡み合っていましたけどねwww
    そのさいに、
    「こ、ろす」だの「し、ね」だの「ブス」は、言いあったかもしれません(笑)
    でも、これ、姉妹同士のケンカですからね。
    姉妹同士とか兄弟同士でケンカして、汚い言葉を使って、そのときに親に怒られたり、頭ぶっ叩かれることはあったとしても(笑)
    それでも、
    親が我が子に、そんなことは絶対に言わないのは、私の中では「基本」だと思って育ってきましたけど、
    我が子にたいして、感情的に、そんなひどいこと言う親が存在するのですね。
    そりゃあ、子供も、ゆがむわな。
    かわいいかわいいと甘やかされて育った末っ子の私も、だいぶ、ゆがんでいるけどな(笑)
    でも、愛情がどんなものなのかは、理解しているので、
    いい親に育てられたと思います。
    やな奴、いい奴の区別を、うまく説明はできませんけど、漠然と見分けはつきます。
    たとえ相手が表面はニタニタしていてもね。
    見分けがつくのは、
    経験を重ねたからかもしれないけど
    (若い頃は、そりゃあ、見分けなんてつかないし、失敗だってするよ)
    なによりも、
    親の育て方が良かったからだと思っています。
    もちろん完璧ではないし、
    む、かつくところも、
    たくさんありましたけど、
    それでも自慢の親です。
    ちゃんと「愛されていた」って思えるからね。
    おやすみなさい

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