あ~イク恋愛生欲情の扉

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2024年 5月 の写メ日記一覧
宝乃ありな

宝乃ありな(26歳)

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ゆがんで とける おじかん です

ゆがんで とける おじかん です

私はシンママになっている。
私には22歳の息子がいる。
酒乱で
仕事をしても続かなく、現在ニート。
逮捕されたり、ろくでなしである。
なぜ、こんなことになったのだろう。
私は冷静に
自分のこと、そして息子のことを分析した。
たぶん私は、自分がガンバることを通して、息子にアピールしていたんだと思う。
私が頑張ってこれたのは、
息子への愛情からではない。
そもそも愛というのはエゴであり、
人は自分以外の人間を自分以上に愛することは絶対に出来ないのだ。
どんな意見があるにしろ、
私は、そう思っている。
私が頑張ってこれたのは、
すべて私のためであり、
すべて私のことを満たすためであり、
「ほら私って、優しいママでしょう。
もっと、ほめて。
もっと、感謝しなさい」
間違いなく、心のどこかで、そう思って酔いしれていた。
それなのに、一向に私のことを認めようとせずに、反抗的でロクデナシに育った息子に腹を立てていた。
そして、
私が
せっせと世話を焼いたことが、
いちいち口を出したり、
息子のことを愛してるふりして、
息子のことを甘やかし、
守ろうとしたことが、
結果的には息子の人生に悪影響を与えてしまった。
私は、きっと息子のことを、ばかにしていたのだ。
「ほら、私がいなくちゃダメでしょ」
私は、私の意思で、息子が、私に依存するように仕向けておきながら、
息子のダメさをけなし、
そして、あまりのダメさに苛立ち、絶望するという、
不可思議なスパイラル状態に入っていたように思う。
息子が
ばかになるように
息子が
ダメになるように
息子が
私なしじゃ生きられないように仕向けたのは私なのに、
いざ、そうなると、
腹が立った。
目の前にある景色は
だいたいのことは、
すべて自分が望んでる景色なのである。
ダメな息子を支配し、
それを自分の支えにして、自分を正当化していた。
息子は自己中であるけど、
考えてみたら私も、息子にたいして限りなく自己中心的だったのである。
息子は息子なりに
母親思いなのである。
息子は息子なりに
私のことを愛しているのである。
だから、
息子は
私のためにダメ男になり、
私のために自立することが出来ずに、
私の深層心理通りに、私に依存している。
それに気付いた時、
私は、息子から手を離そうと思った。
これまで
表層心理では
「あー、嫌だ嫌だ。
どうして、あんたは、そんなにばかなの」
 
というポーズを取りながらも、
深層心理では
「あー、優越感。
こいつが、ばかなおかげで、私が、まともに見える」
と思いながら焼いていた全てのお節介をパタリと止めてみた。
酒乱の息子は
そんな私に、しつこく電話をかけてきた。
電話に出ると暴言の嵐である。
「お酒が入ってない時に電話してね。
あんたも、もう成人してるんだし、
私は私のことを一生懸命生きるから」
そう言った私に、息子は、
「親のくせして、逃げるのか」
と言った。
「酔ってる時の興奮状態の話は聞かないから。
酔ってないときに、かけ直して」
そう言いながら
私は、心を鬼にして、無情にも電話を切る。
これには、私自身、ものすごく胸が痛んだ。
身を切られるような思いになった。
息子のことを可哀想だと思った。
もうちょっと優しくしてあげればよかったかなとも思った。
だけど
きっと、この可哀想だと思ってしまう感情そのものが上から目線なのだろう。
自分の話を遮られて電話を切られた息子は、電話の前で絶望していることだろう。
ましてや、親に、そんなことをされたのである。
きっと「死にたい」って感情になっているに違いない。
そう考えると胸がザワザワして、
息子のことが
あまりにも可哀想で、涙がこぼれおちた。
絶望した息子は
私の着歴を埋めた。
留守録には
「おねがい、でてください」
「こ、ろすぞ」
「まま」
「おねがい、まま」
「これからは、いいこにするから」
「まま」
「まま」
「まま」
「こ、ろす」
「まま、ごめんなさい」
「おい、でろや、こ、ろすぞ」
と、
錯乱状態のメッセージが連続で入っている。
これが
他人ならば怖いと感じるかもしれないけど、
相手は、息子である。
可哀想で、可哀想で、あまりにも可哀想で。
だけど
私は、心を鬼にして、息子の電話を無視した。
あなたは、わたし。
わたしは、あなた。
わたしだけの、あなた。
だけど、
どこかで、境界線を作らなければいけない。
あなたは、
もう、わたしのものではない。
分離しよう。
場面は切り替わり、
息子は
酔ってる状態では電話をしてこなくなった。
私から電話をかけると、
とても嬉しそうである。
私たちは、距離を保ちながら、再び親子になった。
これまで
「親子は、こうあるべし」
という自分の幻想にのっとって、親子の関係を修復しようとしていた。
それを止めた。
親子ではなく、
一人の男としての息子を見るようにした。
もちろん、
そうなるためには自分のなかで
「私は私である」
という強い思いが必要だった。
私は、
息子の親として存在しているけど、
それでも私は私なのである。
息子が苦しんでいても、
私は私である。
私は息子ではないのだから、
私まで苦しむ必要はない。
息子が働かなくても、
私は私である。
私の知ったこっちゃない。
別の人間なのである。
あれから、
息子は
私と喋るとき、とても上機嫌で、とても嬉しそうである。
そんなとき
私は、息子のことを、愛してるし、可愛いと思う。
生意気な息子のことは嫌い。
それでいいのである。
それが普通である。
すべてを愛することは、
親にだって不可能なのである。
息子は
最近、私にたいして、
「ママは優しいけど、冷たい人」
と言う。
「だからこそ、あんたみたいなロクデナシと、仲良く出来るのよ」
と答えると
「そうだな」
と納得してくれた。
息子が
「さみしい」
と呟いた。
だから
「わたしも」
と答えた。
人間は、誰でも、生涯さみしい生き物なのだ。
私だって、
友達がいても
恋人がいても
息子がいても
さみしいときは、さみしいのである。
さみしさというのは、
自分から生まれるものであり、
誰かに満たせるものではないから、
自分が100%処理するしかない。
どんな感情も、
自分の感情は自分のものである。
ぜんぶ自分で処理させるように、
私は、今、息子のことを手離している。
いつだって、人は、ちょっと寂しい。
親子としてたまたま生まれたけど、それ以上に付き合う必要などないのである。
人間関係は、
無理をしたら、しがらみになる。
そして、憎みあうのだ。
私は、息子を自由にして、私自身も自由になったけれど、
それでも私は、息子のことを絶対に拒否しないし、否定しない。
だから、いくら冷たくしても、
息子は、私のことを大好きみたいである。
最近は
私のことよりも、
彼女のことのほうが好きみたいだけど、
私のことも、まだ好きみたいである。
最初から冷たくしておけばよかったのだ。
息子にたいする妙な期待がない分だけ、息子が私のことを好きなことが伝わってくる。
息子は今、
ちっとも振り向いてくれない私に、手を変え、品を変え、気を引こうと、私につきまとってくる。
それがまた、ナルシストで、エゴで、うっとうしいけど、
だけど気持ちは、とても伝わってくる。
私にとって
息子は
もはや息子というよりも、
なんてゆーか、
私に惚れている変な若者
って感じである。
こんな情けない弱い男の愛情を、
かつて私は喉から手が出るほど欲しがっていたのだな、と思いながら、
自分で自分に呆れた。
男というのは、
それが親であろうと
息子であろうと
恋人であろうと
友人であろうと
ペットであろうと
ちょっと冷たくしておくのが、ちょうどいいのだなぁというのが、私の結論である。
だって、どうせ私は、愛されてるんだから。
の 今日の夢シリーズ

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